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山武市さんむ

平成の大合併により同18年(2006)成東町・松尾町・山武町・蓮沼村が合併して成立。
市名は郡名でもあった山武を採り、古くからの読み方であった「さんむ」とした。
山武は山辺郡と武射郡の2郡が合併した際、それぞれの頭文字を採り新しい郡名としたもので、「やまのべ」は山沿いの地という意味。「むさ」は「むぎ(剥)・すだ(洲処)」の転訛で川の洪水時に削られた土砂が堆積している地という意味。
成東町は伝承によれば日本武尊が東征の際、当地の近くは小島が多く、尊が駐在していた館から濤声を聴きながら荒波が打ち寄せる様を眺め、「ここは鳴濤だ」と申されたことから鳴戸という地名がついたという。古代は縄文海進により海が内陸まで入り込んでいたがかなりの進度で後退していったと考えられており、当地には「海水が引き、たちまち平地が現れた」という言い伝えも残る。安貞年中(1227~1229)築城の際、成東に改称したという。「なると(鳴処)」で打ち寄せる波の音が響く所という意味か。または「なる(均)・と(処)」で緩傾斜地という意味か。
松尾町は明治元年(1868)の遠江国掛川城主・太田氏の入封により地名は掛川城の別称を用いたという。
蓮沼村は「はす(斜め)・ぬま(湿地)」で傾斜した湿地という意味。
特色:隣接している東金市に飛地が多数あり入り組んでいる。また旧松尾町域の平野部には崩壊地名が多い。


【あ行】
●麻生新田あそうしんでん
旧山武町。江戸期は麻生新田村。宝暦元年(1751)広野と称する原野が開墾され、同10年(1760)の検地により1村となった。往古八街村の一部分であったが戸田村の者が移住し開墾したという。「あさ(崖崩れ・湿地)・う(~になっている所)」の転訛で崩れるような崖のある所、または湿地という意味。

●雨坪あめつぼ
旧山武町。「あまつぼ」とも。江戸期は雨坪村。地名は県内の「あま」と付く地形は水辺(川・海)の側の崩壊した丘陵または山となっていることから、「あば(奪)・み(水)・くぼ(窪)」の転訛で水辺の地崩れした窪地を指したもの。

●板川いたがわ
旧山武町。江戸期は板川村。地名は「いた(痛)・かわ(川)」で川沿いの崩壊地を指したもの。

●板附いたつき
旧成東町。板付とも書く。江戸期は板付村。地名は「いた(痛)・すき(剥)」の転訛で崩壊地という意味。

●板中新田いたなかしんでん
旧山武町。江戸期は板中新田村。寛永3年(1626)に板川村字三間新田と中津田村字公馬野新田を開墾し村人が移住。2村の新田であったが明治元年(1868)に合併し2村から一字ずつ採り命名した合成地名。

●市場いちば
旧成東町。江戸期は市場村。地名は「い(接頭語)・つば(浸食性の崩壊地形)」で崩壊地という意味。

●井之内いのうち
旧成東町。江戸期は井之内村。もとは松ヶ谷村新田で元禄の頃(1688~1704)すでに井之内に改称、枝郷であった。地名は「い(川)・の(接続詞)・ふち(淵)」の転訛で川や水路の側という意味か。または「うち(内)」で川と川の間という意味か。

●植草うえくさ
旧山武町。江戸期は植草村。地名は「うえ(上)・くず(崩)」の転訛で崖のある台地を指したもの。

●大木おおぎ
旧山武町。江戸期は大木村。地名は川谷が始まる場所であるので「あう(合)・きだ(田地)」の転訛か。または「おば(崖地)・き(処)」の転訛で崖地を指したものか。

●沖渡おきわたし
旧山武町。江戸期は沖渡村。奥渡村とも。埴谷村枝郷。地名は九十九里海岸から奥まった所の意という。「おき(崩壊地形)・わた(川の彎曲部の湿地)」で崩れやすい崖の傍の湿地という意味。

●親田おやだ
旧成東町。江戸期は親田村。地名は「お(接頭語)・やた(谷処)」で低湿地を指したもの。



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【か行】
●上横地かみよこじ
旧成東町。江戸期は上横地村。下横地村ともとは1村であったと思われる。もと横地村があったが名称だけ残り地籍が無かったため明治18年(1885)に削除されている。地名は東西に延びた地であったことにちなむか。

●川崎かわさき
旧成東町。江戸期は川崎村。地名は境川の側の山の突き出した所という意味。

●木戸きど
旧成東町。江戸期は木戸村。地名は「きず(傷)・ど(処)」の転訛で川の流れにより浸食された地という意味か。

●木原きばら
旧山武町。江戸期は木原村。康正2年(1456)千葉常胤の子孫・宍倉胤則が当地に土着し開発したという。地名は字大木にあった椎の大木が大風で倒れた時、その付近が原野であったので木原と呼ばれたという伝説がある。「きわ(際)・ら(土地)」の転訛で山際の地という意味か。

●草深くさぶか
旧成東町。江戸期は草深村。はじめは草深五木田村であったが、のちに分村。「くさ(腐)・ふけ(湿地)」の転訛で低湿地という意味。

●小泉こいずみ
旧成東町。江戸期は成東町。「こ(接頭語)・いずみ(出水)」で湧水地を指したもの。

●五木田ごきた
旧成東町。江戸期は五木田村。元禄の頃(1688~1704)橋本村・向村・蛭田村・前島村・中島村・義永村の6村を合併。記録には下村も名が見える。地名は「ごう(江)きた(北)」の転訛で川の北に位置することを指したものか。または「おき(沖)た(処)」の転訛で新田開拓地という意味か。

●小松こまつ
旧成東町。南北朝期は小松村、江戸期も同じ。「こま(川の曲流部)つ(津)」の転訛で川の曲流部に位置する港を指したものか。または「こま・す(洲)」の転訛で川の曲流部にある洲を指したものか。



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【さ行】
●実門さねかど
旧山武町。江戸期は実門村。「さ(美称)・ぬか(湿地)・ど(処)」の転訛で湿地という意味か。

●椎崎しいざき
旧山武郡。戦国期に「しい崎」の地名があった、江戸期は椎崎村。地名については大字大木にあった椎の大木が大風で倒れた時、その枝の先が当地に達したので椎崎と名付けられたという伝説がある。「しい(崩壊地形)・さき(割き)」で崩壊により皹の入ったように割かれた台地を指したもの。

●柴原しばはら
旧成東町。芝原とも書く。江戸期は芝原村。里伝によれば神亀5年(728)に浅間氏がいて漁業を主としていた。当地は荒蕪の原野であったが天平17年(735)地震のため返還したが大同元年(806)に開墾し、ようやく村を作ったので芝原と名付けたという。地名は「しば(堆積地)・はら(原)」で川に運ばれた肥沃な土砂の堆積する広い平地という意味。

●島しま
旧成東町。江戸期は島村。伝承によると足利氏の頃、その家臣7人が当地に帰農し開墾した土地だという。地名は集落という意味。言い伝えによると昔日本武尊が東征の際、小舟で島に渡り休憩したことからなづけられたという。

●嶋戸しまど
旧成東町。江戸期は島戸村。地名は「しま(集落)・ど(処)」で集落のある所という意味。日本武尊が東征の際、戸を開き視給うた所であることから嶋戸と名付けられたという伝承がある。

●下布田しもふだ
旧山武市。明治29年(1896)に起立。もとは東金市下布田で、江戸期は下布田村。江戸末期に布田村が分村して成立。伝承によれば往古安倍貞任滅亡ののち、その臣が逃れてきて当地に土着し村を作って青木村と称していたという。。「ふだ(塞)」で湿地で崩壊地を指したもの。また租税として布を作り納める土地であったという説もある。

●下横地しもよこじ
旧成東町。江戸期は下横地村。上横地村ともとは1村であったと思われる。なお江戸期から横地村があったが名称だけ残り地籍が無かったため明治18年(1885)に削除されている。地名は東西に延びた地であったことにちなむか。

●白幡しらはた
旧成東町。江戸期は白幡村。中古南北白幡村の2村を分村したが、明治9年(1876)に本村と合併した。地名は八幡神社の伝統行事・御機織行事に由来すると考えられている。この行事は源頼朝が当社に白旗を献じた故事になぞらえて毎年白旗を献じるようになったと伝承されているが、古来より神の奉仕者である機織女の伝統と合わさったものとみられている。「ひら(傾斜地)・はた(端)」の転訛で川端の傾斜地という意味。

●真行寺しんぎょうじ
旧成東町。江戸期は真行寺村。地名は7世紀後半の創建と推定される真行寺廃寺にちなむ。



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【た行】
●津辺つべ
旧成東町。江戸期は津辺村。言い伝えによると昔は大きな湖があり、船で渡ったという。地名は「つば(戯れる)・べ(辺)」の転訛で浸食性の崩壊地の周辺という意味。

●寺崎てらさき
旧成東町。江戸期は寺崎村。地名は「ひら(崖)・さき(台地の突端)」の転訛で台地の端の土が崩れて地肌が表れている崖地、傾斜地、坂を指したもの。

●戸田とだ
旧山武市。室町期は戸田郷、江戸期は戸田村。上下戸田村に分れていたか。「と(高所)・だ(処)」で高い丘陵のある地という意味。

●殿台とのだい
旧成東町。江戸期は殿台村。地名は「たな(棚)・だい(台)」で元は棚状の台地であったか。または昔日本武尊が東征の際、小舟で島に渡り休憩したという言い伝えが残ることから名付けられたか。

●富口とみぐち
旧成東町。江戸期は富口村。伝承によれば中世、東金城主・酒井氏の家臣・高橋某が当地を開拓し初めて村となったという。また言い伝えによると昔は波の激しいところであったことから、富口となづけられたという。地名は「とび(浸食地)・くち(入口)」の転訛で浸食地の入口という意味。

●富田とみだ
旧成東町。江戸期は富田村。地名は「とび(崩壊地形)・た(処)」の転訛で崩壊地という意味。

●富田幸谷とみだこうや
旧成東町。富田高野とも書いた。江戸期は富田高野村。地名は「とみた(富田村)・こうや(荒野)」で富田村が開発した荒地という意味。



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【な行】
●中津田なかつた
旧山武町。江戸期は中津田村。地名は「なぎ(薙)・つ(港)・た(処)」の転訛で崩壊しやすい船着き場のある地か。

●成東なるとう
旧成東町。鳴渡、鳴戸、鳴土、成戸とも。戦国期は成戸(なると)の地名があった、江戸期は成東村。地名は伝承によれば日本武尊が東征の際、当地の近くは小島が多く、尊が駐在していた館から濤声を聴きながら荒波が打ち寄せる様を眺め、「ここは鳴濤だ」と申されたことから鳴戸という地名がついたという。安貞年中(1227~1229)築城の際、成東に改称したという。「なると(鳴処)」で打ち寄せる波の音が響く所という意味か。または「なる(崩壊地)・と(処)」で崩壊地形を指したものか。

●新泉にいのみ
旧成東町。江戸期は新泉村。地名は「にい(新居)・の(助詞)・み(水)」で新しく開墾して出来た集落を意味する。

●西湯坂にしゆさか
成立年代不詳。旧山武町。旧成東町湯坂の飛地か。江戸期は湯坂村。「ゆさ(揺)・か(処)」で砂地などの締まりの悪い地質の土地を指したものか。または「ゆ(水)・さか(傾斜地)」で傾斜した湿地という意味か。

●野堀のぼり
旧成東町。江戸期は野掘村。地名は「のぼり(登)」で台地に上がる地という意味か。または「の(野)・ほり(崩壊地形)」で未開の崩壊しやすい周囲より高い平坦地という意味。



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【は行】
●蓮沼イはすぬまい
昭和30年(1955)頃に起立。もとは蓮沼村蓮沼字上谷・殿台・川面・十二区。旧蓮沼村は明治22年(1889)に蓮沼村と平野新田が合併して成立。地名は南北朝期からみえ、江戸期は蓮沼村。もとは南里村と称した。元禄年間(1688~1704)前後、一時北蓮沼村・南蓮沼村・蓮沼新田に分村、のち再び1村となった。地名は「はす(斜め)・ぬま(湿地)」で傾斜した湿地という意味。

●蓮沼ニはすぬまに
昭和30年(1955)頃に起立。もとは蓮沼村蓮沼字八区・九区・南浜。地名の由来は蓮沼イを参照。

●蓮沼ハはすぬまは
昭和30年(1955)頃に起立。もとは蓮沼村蓮沼字中根・西岡・西浜。地名の由来は蓮沼イを参照。

●蓮沼ホはすぬまほ
成立年代不詳。地名の由来は蓮沼イを参照。

●蓮沼平はすぬまひら
昭和30年(1955)頃に起立。もとは平野新田。地名は平野新田の頭文字を採用した。

●蓮沼ロはすぬまろ
昭和30年(1955)頃に起立。もとは蓮沼村蓮沼字川下・殿下・中下。地名の由来は蓮沼イを参照。

●埴谷はにや
旧山武町。半谷とも、埴屋とも。平安期は埴屋郷があった、室町期も同じ。江戸期は埴谷村。里伝によれば元は埴屋と称したが埴谷とした。のちに横田村・奥渡村・実門村・小原村・諸木村・仲台村・寺ヶ台の7村を分村し半谷と称した。文禄11年(1602)に奥渡・小原・諸木・寺ヶ台の4村を合併し埴谷にもどした。地名は「はに(粘土)・や(谷津)」で粘土の採れる湿地という意味。

●早船はやふね
旧成東町。江戸期は早船村。言い伝えによると昔当地が海であった時に、海流が大変早い所であったことから早船とついたという。あるいは「はや(急傾斜地)・はな(端)」の転訛で急な崖の先端という意味か。また日本武尊が東征の際、当地に上陸したことから武社早尾神社に御祭神として祀られている。

●引越ひっこし
旧成東町。もとは旧松尾町引越で江戸期は引越村。地名は他の土地から自然災害などの理由により移住してきたことを表すものか。

●姫島ひめしま
旧成東町。江戸期は姫島村。地名は古くは日西島と称したが、護良親王の姫宮(北畠親房の妹で護良親王に侍したという女性とも)が家之子村(現東金市家之子)館を造り御所と称して居住していたが、正平12年(1357)に病にて薨去し当地に葬られた。当村はもと家之子村に属し御所は湯沐(とうもく)の地にあったことから姫島と呼ばれるようになったという。姫は字姫塚に葬られた。また日本武尊が東征の際、太陽が西に入るのを見て、尊が日西島と名付けたという伝承がある。

●日向台ひゅうがだい
成立年代不詳。地名の由来は明治22年(1889)に起立した日向村にちなむか。「ひむか」で日に向かう地の意味で東に面した土地をいう。



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【ま行】
●松尾町祝田まつおまちいわいた
明治元年(1868)太田氏入封により五反田村・水深村の荒地を藩士邸地に開拓し成立。もとは五反田村字皿沼と称した。地名は当地の領主・太田氏の祖・道灌が居住したとされる江戸城付近の地名を借用したといわれる。「さら(曝)・ぬま(沼)」で崩壊しやすい湿地という意味。

●松尾町大堤まつおまちおおつつみ
江戸期は大堤村。明治元年(1868)太田氏入封により10万4300坪の土地を同氏居城の一部とした。地名は「おお(美称)・つつ(筒)・み(水)」で山に障られた湿地という意味。当地には県内で最大規模の権現塚古墳がある。ここに埋葬された人物は武社国造であったが和邇氏の子孫であり海人族で入江の水系を管理していたと考えられている。また古墳の付近に建てられた物見櫓を尊が航海の目印にしたとの伝承があることから、地名の大堤は港を意味するとも考えられる。

●松尾町小川まつおまちおがわ
江戸期は小川村。地名は「お(接頭語)・かわ(川)」で川沿いの地という意味。

●松尾町折戸まつおまちおりと
江戸期は折戸村。借毛村より分村。地名は「おり(落)・と(処)」で崩壊地を指したものか。

●松尾町借毛本郷まつおまちかしけほんごう
江戸期は借毛本郷村。借毛村より分村。地名の由来は延暦年間(782~806)征夷大将軍・紀古佐美が当地を通った際、食料を求めたので里人が立ち毛(稲)を刈り取り献じたところ、借毛の名を賜ったという。のちに本郷を付けたのは当村から枝村が分れたことによる。「かし(傾斜地)・け(処)」で傾斜地、または過去の土石流の堆積地を指したもの。

●松尾町蕪木まつおまちかぶらぎ
江戸期は蕪木村。地名は「かぶら(傾)・き(処)」で傾斜地という意味。

●松尾町上大蔵まつおまちかみおおくら
江戸期は上大蔵村。地名は「おお(美称)・くら(崖)」で崖地の意味。「上」は下大蔵に対するもの。当地には日本武尊を祀る早尾神社が鎮座しており、大蔵という地名には「朝廷に属する領地」という意味があることから当地を大和朝廷が支配したことにちなむ地名か。

●松尾町金尾まつおまちかんのお
江戸期は金尾村。地名は「かん(噛む)・の(接続詞)・う(~になっているところ)」の転訛で浸食された傾斜している所という意味。

●松尾町木刀まつおまちきがたな
江戸期は木刀村。地名の由来不詳。

●松尾町五反田まつおまちごたんだ
江戸期は五反田村。明治元年(1868)の太田氏入封により荒地を藩士邸地とした。地名は中世里見氏或いは千葉氏の家臣・川島、花沢、加瀬、鈴木、竹内の5氏が当地で帰農し開墾し村をつくったので「五頭田」と称したことにはじまるとする伝承がある。

●松尾町古和まつおまちこわ
江戸期は古和村。地名は往古にあった巨麻郷(こまのごう)の名残か。「こま(疲労する)」の転訛で崩れやすい地を指したものか。または「ふる(降る)わ(曲)」の転訛で崩れやすい湾曲地という意味か。

●松尾町猿尾まつおまちさるお
「さらご」ともいう。江戸期は猿尾村。明治元年(1868)太田氏入封により6万3426坪の地を同氏居城の一部とした。地名は「され(地崩れ)・こ(処)」の転訛で地崩れした所という意味。または「され(地崩れ)お(山の尾根)」の転訛で崩れた山の尾根を指したものか。

●松尾町下大蔵まつおまちしもおおくら
江戸期は下大蔵村。地名は「おお(美称)・くら(崖)」で崖地の意味。「下」は上大蔵に対するもの。当地には日本武尊を祀る早尾神社が鎮座しており、大蔵という地名には「朝廷に属する領地」という意味があることから当地を大和朝廷が支配したことにちなむ地名か。

●松尾町下野まつおまちしもの
江戸期は下野村。もと借毛八幡と称した。のち借毛本郷村より分村。地名は親村である借毛本郷村より下流にある傾斜した平地という意味。

●松尾町下之郷まつおまちしものごう
下野郷・下ノ郷とも書く。江戸期は下之郷村。借毛村より分村。地名は親村である借毛本郷村より下流にある郷という意味。

●松尾町高富まつおまちたかとみ
明治10年(1877)に起立。もとは小借毛村・馬渡村の2村。明治15年(1882)に小馬野村を合併、当地は廃藩となって不要になった松尾藩士の邸地跡。地名は佳字をあてたもの。「こ(接頭語)・かし(傾斜地・痩せ地)・け(処)」でで傾斜地、または過去の土石流の堆積地を指したもの。「ま(接頭語)・わたし(渡)」で川の渡し場という意味。「こま(屈む)・の(野)」で疲労した傾斜した平地という意味。

●松尾町武野里まつおまちたけのさと
明治10年(1877)に起立。もとは下武射村・野中村・中里村の3村。地名はさ3村から一字ずつ採って名付けたもの。「しもむさ」は「しも(下)・ふさ(塞)」の転訛で崩壊で塞がる所という意味、「下」は何に対しての冠称か不詳。「の(野)・なか(中)」で傾斜した平地の中央という意味か。「なか(間)・さと(里)」で山と海の間、または栗山川と木戸川の間の集落という意味か。

●松尾町田越まつおまちたこえ
江戸期は田越村。街道が交差する宿場町であった。明治元年(1868)太田氏入封により8000坪の地を同氏居城の一部とした。「たき(滝)・くえ(抉え)」の転訛で浸食されている崖地・急傾斜地という意味か、、またた浸食地という意味を二重に重ねて強調した地名。日本武尊が東征の際、軍を置いて尊達を上陸させなかった「竹の水門たけのみなと」を当地に比定する説がある。当地を流れる木戸川の「木戸」は城門の意味があり、蝦夷たちが軍を配置し砦(柵)を築いたところであったと考えられる。

●松尾町八田まつおまちはった
江戸期は八田村。はじめは押辺村と称したが改称。明治元年(1868)の太田氏入封の際、同2年(1869)荒地を松尾藩士邸地とし八重田と称した。明治13年(1880)に八重田村を合併。地名は「はた(端)」の転訛で松尾藩の端の地という意味。「押辺」は地辷りした所の周辺という意味。

●松尾町引越まつおまちひっこし
江戸期は引越村。地名は他の土地から自然災害などの理由により移住してきたことを表すものか。

●松尾町広根まつおまちひろね
平根とも書く。江戸期は広根村。もとは借毛村でのちに平野村となり、広根に改称。明治20年(1887)に借毛村より分村の東和田村・新井堀村(にいぼりむら)・広根新田を合併。「ひら(傾斜地)・の(野)」の転訛で傾斜した平地という意味。

●松尾町富士見台まつおまちふじみだい
昭和50年(1975)に起立。もとは蕪木の一部。現在は工業団地。地名は佳字を用いた瑞祥地名。

●松尾町松尾まつおまちまつお
明治2年(1869)に起立。明治元年(1868)の遠江国掛川城主・太田氏の入封により大堤村・猿尾村・八田村の3村と山林荒地22万坪余を開拓して成立。地名は掛川城の別称を用いたという。

●松尾町水深まつおまちみずふか
江戸期は水深村字搏切場。明治元年(1868)太田氏の入封の際、翌年村の一部を藩士邸地とし、その一部を「水深」と称し、他の一部が祝田村となった。明治22年(1889)に松尾村本水深となり、同時に「水深」も大字となった。元々は水袋村であったという。「みず(水)・ふくろ(袋)」昔海岸線であった頃に湾曲した地形で袋のような形であったことからなづけられたか。

●松尾町本柏まつおまちもとがしわ
元柏とも書く。戦国期に本柏の地名があった、江戸期は本柏村。「もと(元)・かしわ(傾ぐ)」で古くは傾斜地であったことを意味するか。

●松尾町本水深まつおまちもとみずふか
明治22年(1889)に起立。もとは水深村。地名については松尾町水深を参照。

●松尾町谷津まつおまちやつ
谷とも書く。江戸期は谷津村。「やと(湿地)」の転訛で湿地という意味。

●松尾町山室まつおまちやまむろ
江戸期は山室村。「やま(山)・むろ(室)」で山に囲まれた河川沿いの小盆地という意味。

●松ヶ谷まつがや
旧成東町。鎌倉期に松谷の地名があった、江戸期は松ヶ谷村。「まつ(曲)・が(接続詞)・や(谷津)」で川の曲流部に近い湿地という意味か。

●松ヶ谷イまつがやい
成立年代不詳。地名については上記を参照。

●松ヶ谷ロまつがやろ
成立年代不詳。地名については松ヶ谷を参照。

●美杉野みすぎの
旧山武町。成立年代不詳。地名の由来は不詳。

●武勝むしょう
旧山武町。江戸期は武勝村。地名は苧麻(からむし)が繁茂する土地を意味する苧生(むしふ)の転訛だという説がある。「むし(毟る)・う(~になったところ)」で崩壊地という意味。

●本須賀もとすか
旧成東町。江戸期は本須賀村。地名は「もと(元)・すか(洲処)」で古く砂洲であった地という意味。

●森もり
旧山武町。南北朝期は森郷、江戸期は森村。地名は「もり(盛)」で小高い丘陵地を指したもの。



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【や行】
●矢部やべ
旧山武町。江戸期は矢部村。地名は「やぶ(破)」の転訛で崩壊地という意味。

●湯坂ゆさか
旧成東町。江戸期は湯坂村。「ゆさ(揺)・か(処)」で砂地などの締まりの悪い地質の土地を指したものか。または「ゆ(水)・さか(傾斜地)」で傾斜した湿地という意味か。

●横田よこた
旧山武町。江戸期は横田村。いつの頃かは不明だが横田新田を合併。地名は東西に延びる地という意味。

【わ行】
●和田わだ
旧成東町。江戸期は和田町。地名は「わた(曲処)」の転訛で丘陵が曲流している事を指したもの。



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